説法会 ならびに シタール演奏会 (F組 三木 悟)
  

 2003年11月8日(土)
 
説法会 : 16:00〜17:00
 説教の後で、三木悟君のシタール演奏
 飲み会 : (生臭会) 17:00〜22:00〜・・・
 会費:飲み物、おつまみ代として2〜3千円。

横浜市神奈川区富家町1−13 スカイハイツトーカイ 2501
真宗大谷派 高明寺 にて
http://www.komyoji.net/ 
※オートロックなので入り口で部屋番号を押してください。※
※サティ側からは入れません※

■出席予定者■ (主催 F組 三木 悟)
A B C D E F G H
久保田、
佐橋(鈴木)
杉山(立木) 斎藤、土橋、松村 森澤(阪本)   森、大野、
橘川(西尾)、
三木(有馬)
   

高明寺のある富家町(トミヤチョウ) の リンク
神奈川県横浜市神奈川区富家町のホームページ (富家町の情報が満載)
横浜市 神奈川区
統計でみる横浜 よこはまのまち 神奈川区 富家町
横浜市 町名遠隔誌
東神奈川サティ
(スカイハイツトーカイの北隣の建物、駐車場あり) 
神奈川公会堂 (サティの北隣の建物、分かりやすい地図あり)
古くは橘樹郡(たちばなぐん)神奈川町大字神奈川といい、明治34年の横浜市編入の際、神奈川町となった。
昭和7年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、神奈川町字富家 (とみや )町の区域に新設された町。町名は字名を採った。
中央を横浜新道(国道1号の一般道区間)が通り、南東側を第二京浜(国道1号)が通る。神奈川公会堂があり、東神奈川駅に面している。

「横浜の町名」(横浜市市民局)より


(神奈川公会堂様の地図を流用させていただきました。)

高明寺はトーカイプラザの25階(最上階)にあります。


高明寺からの夜景(神奈川新町方面 )。 左手の道路は、国道1号線(第二京浜)

最寄り駅  

JR 京浜東北線 or 横浜線
東神奈川駅 (徒歩 約2分)
[新宿より品川経由 約53分、 540円]

京浜急行 仲木戸駅
 (徒歩 約3分)
[新宿より品川経由 約54分、540円]
東急東横線 東白楽駅
  (徒歩 約6分)
[新宿より渋谷経由 約51分、 410円]

日経BP NETWORKの駅スパート、Yahoo! Transit 、JORUDAN 駅名入力検索 乗換案内 等でも、調査できます。


ゼンリン電子地図帳のデータより

 

■「青少年を救えるか?」
C組・斎藤 成+F組・三木 悟

今回の報告は難しい!信心薄き小生に忠実なレポートはできないことをお許し願い、11月8日(土)午後4時から9時過ぎまでの5時間以上に及んだ3部構成の説法会+シタール演奏会+座談の会をご報告したい。会場となった三木坊が住職を勤める高明寺は仮住まいだが、東神奈川駅前の25階建てマンションの最上階にある。(2501室→森君の語呂合わせ「25回ナンバー1」)眼下は、JR京浜東北・横浜線、京急線が走り、横浜ベイブリッジも真正面に見える抜群の景観である。
三木坊生臭説法会の提案をしてから2ケ月、F組・三木さん、橘川さんのご尽力で成功裡に開催できた。参加メンバーはF組を中心に12名の老若男女(とは言え全員同い年)。時間前に集まった所で最近のベストセラーとなった西本願寺・大谷光真師の「朝に紅顔ありて」の著作や五木寛之が何故読まれているかといった話をしたり、C組川又君から届いた合鴨農法のコシヒカリでおむすびを握ったり、食事の準備がなされた。
さて、煩悩にまみれた「十二使徒」ならぬ級友12名が集まった所で、まず三木坊が阿弥陀如来をお招きする「唄」([伽陀(かだ)]という)を詠(うた)い、次いで仏教各派が共通に唱える三帰依文(さんきえもん・各宗派によって多少文句がちがう)を全員で 唱和してから始まった。仏教は仏・法・僧から成るがその三帰依文は、「私は仏陀に帰依いたします。私は法(真理)に帰依いたします。私は僧(三木坊 いわく*教えを聞いて歩む友達の集まり)に帰依いたします。」という意味で、 全文を紹介すると以下の如し。

サン キ  エ  モン
三  帰  依  文 (礼讃文)

人身(にんじん) 受け難し 今  已(すで) に受く
仏法(ぶっぽう) 聞き難し 今  已(すで) に聞く
此の身 (このみ)  今生(こんじょう)において  度(ど)せずんば
更(さら)に いづれの生(しょう)においてか  此の身を 度せん
大衆(だいしゅう)  もろともに  至心(ししん)に
三宝(さんぼう)に  帰依(きえ)し  奉(たてまつ)るべし   
自(みずか)ら  仏(ぶつ)に  帰依し奉る
まさに 願わくば 衆生(しゅじょう)とともに
大道(だいどう)を体解(たいげ)して
無上意(むじょうい)を発(おこ)さん   
自(みずか)ら  法(ほう)に  帰依し奉る
まさに 願わくば 衆生とともに
深く 経蔵(きょうぞう)に入(い)りて
知慧(ちえ) 海(うみ)の如くならん     
自(みずか)ら  僧(そう)に  帰依し奉る
まさに 願わくば 衆生とともに
大衆(だいしゅう)を 統理(とうり)して
一切無礙(いっさいむげ)ならん
無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の  法は
百千万劫(ごう)にも  相遇(あいあ)うこと  難(かた)し
我今(われいま)  見聞(けんもん)受持(じゅじ)することを得たり
願わくば  如来の真実義(しんじつぎ)を  解(げ)し奉らん

これを唱えてから、三木君が仏門の出でない彼が新宿高校卒業後、26歳でインドに旅立ち、帰国してから僧侶となったことをかいつまんで話した後、仏教が人間以外の生き物や自然そのものにも生命を見出していること、インドというところが自然と人間が一体になって、奥深い哲学とともに素朴な信仰心の生きている世界であること、などが語られた。
さて、そのインドで生まれた仏教がやがて大乗仏教となり、大乗仏教には「すべては空である」「すべては心である」「すべての衆生には仏の心がある」という三つの柱があること、「般若心経」の空の教えは、「すべてのものはそれ 自身だけでは存在していない、さまざまな縁によって成り立っているのだ」という教えだから、簡単にいえば「明日は明日の風が吹く」になること、仏教の旗印と言われる「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静(しょぎょうむじょう)(しょほうむが)(ねはんじゃくじょう)」は、「世の中はあてにならぬ・ままにならぬ・それが分かれば気が楽だ」ということだと、素人にも分かりやすく仏の教えが説かれていった。
ところが、それが分かっても気が楽にならないのが凡夫(ぼんぶ・ただのひと)といわれる我々の哀しさで、我々には八万四千(それほどたくさんあることの喩え)もの煩悩(ぼんのう)が備わっているのだと驚かせた。
じゃあどうしたら救われるの? という疑問に応えるかのように、子供の手を引いて川に身を投げようとしたご婦人が自分の口から出た「おかあちゃん !」という叫び声に生きる力を取り戻した話を例にあげて、高明寺のご本尊の阿弥陀如来は「無量寿(むりょうじゅ)如来」ともいい、それは「おかあちゃんの心」である観音様の慈悲と、「おとうちゃんの心」である勢至菩薩(せいしぼさつ)の智慧を伴って限りなく歩みつづけ限りなく呼びかけている「無量のいのち」を表すのだが、「おかあちゃん!」と叫んではじめて母の心を思い出すように、仏の名を呼んではじめて仏の心を思い出し、その仏の力に励まされて生きていくことを念仏というのだと、浄土真宗の教えを説明した。
「すべてのいのちはそれを愛そう愛そうとする人のもので、傷つけよう傷つけようとする人のものではない」。我々はみんなお母さんのお腹の中で40億年の生物進化の歴史をくりかえして生まれてきたのに、我々の現実は、時代社会をあげていのちを愛そう愛そうとするのではなく、傷つけよう傷つけようとしているのではないか。
そう言って、多発する青少年の事件や、戸塚高校定時制の先生で、夜の巷にたむろする少年少女に声をかけつづけている我々と同世代の人のことを取り上げた。
そして、「神よ、変ええぬことはそれを受け入れる心の静けさを、変えうることはそれを変えていく勇気を、そして、これら二つを見分ける智慧を、我に与えたまえ」というニーバーの祈りや、明治の仏教者である清沢満之(きよざわ・まんし)の「天命に安んじて人事を尽くす」といった言葉を紹介しながら、われわれには今、いのちを回復するという大事な責任があるのではないか。自分にできないことを考える必要はない、それぞれの場所で、家庭なら家庭で、職場なら職場でできることをしていこうと呼びかけ、1時間の説法の〆めはダライ・ラマ(チベット仏教第14世法王)の「もしあなたが宗教に興味を抱くなら、それはそれでいいことである。だが、もしあなたが宗教に何の興味も持たないとしても、あなたは人間の内的価値の重要性を忘れ去るべきではない」という言葉で結んだ。

この間、三木坊は2度も衣装換えをし、『仏門コスプレ』も披露してくれた。(馬子にも衣装とひやかしもあったが…)
第2部のシタール演奏会の報告は「ハイパー森君」に任せる。森君はこの日のためにバグパイプで『六中健児の歌』と『校歌』を編曲してきてくれた。(35周年当日はこれで新宿の街を行進か?)
第3部は、多少アルコールが入った「生臭精進落とし」である。三木坊曰く、「月に2回、檀家の人に説法会を行っているが皆んな一言づつしゃべってもらっている。仏さまの前でもあるので是非、全員何かしゃべっていって…」とのリクエスト。
お膳の上には、F組・三木さん、橘川さんの自慢のキッシュや手料理、川又君のお米のおにぎり、大船名物の鯵の押し寿司、チーズに、タコのカルパッチョ等々が並び、お酒は銘酒「久保田」、ボルドー赤ワインにビール(地ビール)と豪勢な「精進料理」である。これを味わいながら…

さて、ここからの2時間の内容が濃いぃ。
誰の発言だとは伏せるが、現在失業中のO君に始まり、〔週刊新宿〕連載中のM君のリストラ・再就職顛末、先週テレビにちょっとだけ出たS、リストラを経験した先輩格のH君、4年越しで「自由」を勝ち得たK君、地元の公務員M君、減量に励むT君、女性陣からはお舅さんの看病と遺産贈与、女性の社会再参加の障壁、●十年前のマタニティーブルー、40歳を目前に薬剤師として働きはじめた苦労談、中小企業社長夫人の嘆き、親になって分かった両親の愛情、母親の自覚と喜び…、と続き、子育てや川又君の事業と話題は尽きない。
その時、三木坊がやおらビデオを取り出し、渋谷や繁華街で深夜に遊んでいる青少年たちを見回る戸塚高校定時制の水谷先生のドキュメントを放映。この先生は難病に罹り余命幾ばくもない身ながら、ドラッグに溺れる子、自殺願望の少女、との交流を通じ、「子供たちを『夜の世界』に追いやる大人たち」への警告が映し出された。
この映像からK君、H君、三木坊の論争が始まった。
日本の子供の現状を踏まえつつ、貧しくカースト制で虐げられるインドの子供、地雷で足を失ったカンボジアの子供、枯葉剤の後遺症で苦しむベトナムの子供…との比較が展開されたが、三木坊は「心の闇」は日本の子供も重症だと譲らず、結局、その戸塚高校の先生を1月に高明寺にお招きし、お話を聞こうということになった。
因みに、土橋君がその模様をインターネットでライブ中継することとなりそうである。
説法会第2弾となる。乞うご期待と相成った。

(※この稿は不信心の斎藤では再現不能だったため、三木坊に加筆・修正してもらっているので、上記のレポートは斎藤+三木坊の合作であることをお断りする。)

[写真撮影:松村 秀典]

●シタール三木の『幽玄な響き』
F組・森 能文

どこかで聞いたようなタイトルですね、つまりは先月号のタイトルのパクリです。
…が、パクリはともかく今回の内容はまさにこのタイトルがふさわしい内容でした。

我々の世代にとってシタールの音色といえば、なんといってもビートルズの「ラバーソウル」や「リボルバー」等のアルバムでジョージ・ハリスンが演奏しているを聴いたのが最初の出会いなのではないでしょうか。
そして、その後、ヒッピー・ムーブメントとも結びついてインドやネパールに対する関心が高まるとともに、ラヴィ・シャンカルのような本格的なシタール奏者の活躍もあって、世界的にインド音楽のブームがあったものでした。
ですから、多分、私たちにとってはシタールという楽器の音色を聴いたり、その演奏風景をテレビ等で観ることなどはそれほど縁遠いものではなかったと思います。
とは言っても、絶対的に演奏者の少ないこの楽器の演奏を、真近に見聴き出来る機会ってのはそうそうあるものではありません。かくいう私も今回が生まれて初めての経験でした。

初めて真近に見るシタールという楽器の民族楽器ならではのメンテナンスの難しさ、そして演奏される音楽の複雑さは想像をはるかに超えたものでした。当日、見聞きしたことを的確にお伝えする能力は私には到底ありませんので三木君のシタール仲間でもある辰野基康さんのHP http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/ などを参照させてもらいながら、この楽器と三木君の演奏についてレポートしてみまたいと思います。

早々と会場に入り生臭会の準備に忙しいであろう三木(有馬)、橘川(西尾)のお二人をお手伝いする、という良い子ブリっこするため午後3時には東神奈川駅に到着。写真で見るスカイハイツトーカイはなぜか外壁の中段付近に腹巻きのようなものが見えるのが不思議でしたが、現場についてその理由が判明。このマンションは現在外壁等のメンテナンス工事中で、腹巻きのようなモノは、屋上から吊られた移動式の足場だったのです。
そんな訳で、工事現場のおっさんたちが頻繁に出入りしているため、肝心のオートロックのドアもほとんど出入り自由状態でした。でも、私はどうしても「25回はナンバー1」ってボタンを押してみたかったので、インターフォンの所で2501をプッシュ。三木君の応答に応じていざ最上階へ。
『天空の城-ラピュタ』ならぬ、天空の寺「高明寺」へ足を踏み入れます。遠めにベイブリッジを見下ろす窓からの眺めはまるでランドマークタワーからの眺め。なんともシュールなお寺です。女性お二人の他に私より先に到着していたのは、はるばる埼玉から会社を経由して製品のヨーグルトをどっちゃりと手みやげに駆け付けた塙君。彼いわく「こんな高いところに居て日々下界を見下ろしていると、尊大な気持ちをもった住職になっちゃうんじゃないかな?」

さて、建前とは裏腹にお二人のお手伝いなど一切せぬまま、私の興味はなんといってもとても珍しいシタールの方に行ってしまいます。 
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/whats-sitar/zukai/kakudaiz.htm
 
両端に瓢箪製といわれる共鳴胴が大きく膨らんだその形は写真などで何度か見たことがありましたが、本物を目の当たりにしてまず目を引くのは、やはりその弦の数です。なんと、主弦7本+共鳴弦13本の20本ということ。
そして、主弦7本は円弧状のフレットの上にあって、演奏中に弾きますが、共鳴弦13本はフレットの下にあり、演奏中には一切触れません。つま弾かれた上の弦の音に共鳴して鳴るだけなのです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/whats-sitar/genno-harikata/kyoumei-.htm 
上の7本の弦もギターなどの弦とは全く違った役割をします。つまり演奏中につま弾いてメロディーを奏でるのはその内の1本だけ。他の弦は通奏音を出し続ける(丁度バグパイプのドローンパイプの役割)弦と時々リズムを入れるために弾くリズム弦ということ。つまり、シタールでは《和音》は演奏しないのです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/whats-sitar/genno-harikata/syugenn-zu.htm 
弦についてだけでもこんな感じですが、私の説明だけではとても全体像がつかめないと思うので、どうぞ下のアドレスを訪ね、青い文字の部分をクリックして詳しい説明や図を御覧になってください。
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/sitar01.htm 

どうですか? 一応、シタールの構造が概ねお分かりでしょうか。
三木君の説明によると、このシタールという楽器のメンテナンスで最も大事なのはジャワリと言われる鹿の角でできた駒の調整とのこと。このジャワリ、なんとも不思議なのは他の弦楽器の一般的な駒とは違って、弦を一点で支えようという発想ではないこと。面で支えて、その微妙な角度で面と弦が擦れることによって発する音色が重要だというのです。実際、シタールの維持で一番重要な事はそのかすかな隙間をいかに保つかという事だそうです。そして、一旦良い状態になったとしても、演奏している間に次第に削れてしまうのでまた調整しなくてはならなくなるそうで、さらにその調整は非常に高度な技術が求められるということです。

また、後ほどの演奏の際にも説明がありましたが、シタールの音楽には72(?)の音階があるとかで、それぞれの音階に応じてチューニングをし直す必要があり、そのためには糸巻きを調整するだけでなく、いくつかのフレットを移動するのです。ですから、フレットは棹に固定していいるのではなく、紐で結わえてあるだけです(!)。
糸巻きも穴にテーパーをつけた棒を突っ込んであるだけですから、すぐに緩んでくるので頻繁に調整しなくてはならないとのこと。
あ〜、もう話を聞いただけでも気が遠くなるような思いがしました。

さて、いよいよ三木君が楽器を手にします。

まずは楽器の構え方からして普通の楽器とは全く違います。なんと、それ自体がヨガのポーズとのこと。足を交差させて左足の足先の上に胴を乗せ、棹を抱きかかえるように構えます。後ほど、そのポーズをとろうとしてみましたが、元体操部であるくせして体が堅い私には三木君がやっていたように足を組むことすらできませんでした。
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/how-to-play/beginer-sitar/kamae.htm 
メロディー弦をつま弾く右人さし指には鋼線でできた爪を着けます。
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/whats-sitar/bihin/bihin.htm 
後で、着けさせてもらいましたがこれがなんとも痛い! 
さらに、スチール製の弦を押さえる左手の指も、弦を押さえるだけで切れてしまいそうで痛い!(三木君も、指が切れずによく滑るようにワセリンのようなものをたびたび付けていました)
三木君曰く、「この《痛さ》に慣れるのがまず第一。」とのこと。
う〜ん、ここまで読まれてきてお気付きの通り、この楽器は絶対的に「マゾヒストの楽器」ですね。

さて、演奏に入る前にラーガ(旋法)やターラ(拍節法)について説明がありました。
それぞれのラーガは夜のラーガとか、夜明け(3〜6時)のラーガとか、一年の内ある時期に弾くラーガ、という様に時刻や季節に応じて厳格に定められているという話。また、4拍+4拍+4拍+4拍=16拍のリズムだとか、もっと言えば64拍のリズムまであること。また、16拍と11拍を同時に進行させて16拍の2巡目(つまり32拍目)の後に11拍の3巡目(つまり33拍目)が来て元に戻ってくるのが、どうたらこうたら…。
極めつけは「音が鳴っている間は本当の音楽ではなくて、音が無くなった時が本当の音楽である、という考え方がある」というような、まるで禅問答のような話も出てきて、仕舞いには何がなんだか分からなくなりました。
まあ、その内容はとても一回聞いただけで理解できるようなものではありませんので、私にはうまくお伝えできません。興味のある方は次に参考となるようなサイトのページを紹介しますので目を通してみて下さい。でも、読んでもますます分からなくなるかもしれませんが…。
http://www.h3.dion.ne.jp/~sitar/sitar-nituite/ind-ongaku/ind-ongaku.htm 
http://www.sehouse.co.jp/jap/center2.htm
 (民族音楽センター)
http://homepage2.nifty.com/naada/ (ナーダの贈り物  J.I.N. Music Association)

とは言っても、実は三木君自身はインド音楽初心者である我々に対して非常に親切で、例えばリズムの話をする時には、タブラ(太鼓)を使って分かりやすく説明してくれました。タブラはシタールの伴奏などに使われる木や金属の胴にヤギの皮を張った大小2つセットの太鼓。打面に工夫がしてあって叩く部分によって様々な音色を出すことができ、単なるリズム楽器を超してメロディー楽器に近い役割を果たすことが出来るという高度に発達した太鼓です。
実は、三木君は元々このタブラを演奏していたということなのです。では、何故シタールを演奏するようになったかというと、ある時、タブラを習うためにインドのあるタブラ奏者のところに出向いたところ、なんとその奏者がその前日に死去していて、三木君は彼の葬式に出くわしたそうです。…で、事情を聞いた他のタブラ奏者が代わって三木君にタブラの手ほどきをしてくれたそうですが、その人が「お前はシタールもやるべきだ」といってシタールの演奏を教えてくれるようになり、それ以来彼もシタールを演奏するようになったということです。

さて、いよいよ演奏です。この日は結局3曲聴かせてもらいました。最初に、その曲で使われる音階を弾いてみせてくれた後、曲に入りました。本来は各々の曲とももっとずっと長くバリエイションを即興で展開していくということですが、初心者の我々を前にして、適当に聴きやすい長さに(10分程度?)で終えてくれたようです。後でいろいろなサイトの説明を読んでみて、多分アーラープ(これから演奏するラーガを提示するイントロ的なフリー・リズムの部分)からジョール・アーラープ(アーラープよりリズミカルで、より自由にアドリブを展開する部分)のサワリの部分だったのではないでしょうか。

前に話した通り、1曲終わる毎に各々のラーガに合わせたチューニングが必要になる訳で、糸巻きを調節したりフレットを移動させたりと、見ているだけでも大変さが伝わります。
でも、1曲、2曲と進むに従って、我々の耳もこの特殊な音楽になんとなく慣れてきたのか、だんだんメロディーの展開が理解できるようになりました。特に最後の3曲目では徐々にスピードアップしてくるエキサイティングなバリエイションの部分まで演奏してくれたこともあり、感動のフィナーレ!って感じで大いに盛り上がって終焉を迎えました。

いや〜、演奏しはじめて15年という年期の入った三木君のシタール演奏。なんとも素晴らしいものを聴かせてもらいました。
いつか、ゆったりとした気分で野原に寝そべって、吹き抜ける風に乗せて何時間でも延々と演奏を聴かせてもらえたらどんなに快楽だろう、という気持ちを強く持ちました。
三木君、本当にありがとう!

【音楽室から】
●「六中健児の歌」バグパイプバージョンについて

F組・森 能文

先日の私のプチライブの時に、斎藤編集長から「六中健児の歌」をハイランドパイプで演奏できないか? との要望があったことを受けてトライしたところ、全体に音を4度上にずらせばなんとかそれらしく演奏できそうだ、ということは以前MLに書いた通りです。

なんせ、音域はきっかり1オクターブ+1音の9つで、半音は全く出せない、さらに言えば民族楽器特有のヘンテコな音階というハイランドパイプで、西洋音階で作られたお馴染みの曲をそれらしく演奏するというのは実は中々難しいのです。

http://home.m00.itscom.net/library/Photos/Kaori03/scale.gif

そんな訳で、パイパー森の耳にはなんとかそれらしく聴こえたとしても、果たしてそれがパイパー以外の耳にも本当にそれらしく聴こえるか? ということについては甚だ自信がなかったので、今回の三木坊説法会に練習用の笛(プラクティス・チャンターといいます)を持ち込んで集まった皆さんに聴いてもらいました。
結果はめでたく合格!。皆さんにもそれらしく聴こえるそうです。もちろん、音域がずれていますので歌の伴奏にはなりませんが、歌の前にファンファーレのように高らかに演奏して雰囲気を盛り上げるってことはできそうです。
実はついでに「校歌」の方も同じ処理をしてお聴かせしたのですが、こちらもどうしても出せない一音を除いてなんとかそれらしく聴こえるようでした。実は個人的には、典型的なマーチングリズムである「六中健児の歌」よりも、スローエアーのゆったりとした雰囲気が濃い「校歌」の方がハイランドパイプに似合っていてるように思えます。特に最後が一番高い音で終わるってとこが、パイプで演奏するとなんともカッコ良いんですよね。

とにもかくにもこの晩は、新宿高校80年の歴史で「六中健児の歌」や「校歌」をハイランドパイプで演奏するってのは前代未聞だろうし、さらに今後も多分無いだろう、ってことで大いに盛り上がりました。まあ、音楽的なレベルはともかく、他では聴けないだろうという珍しさだけは確かでしょう。やっぱり、25回はナンバー1です。

【追記】この日はさらに「仰げば尊し」も同様の方法で演奏してしまいました。澤先生の記念講演の時に先生に捧げたかったな〜。