「RHK、放送研究部がお送りいたしました」
お昼の放送はいつもこう終わっていました。六中放送研究部だから「RHK」なのです。毎日屋
上で「あ・え・い・う・え・お・あ・お」と発生練習をしていました。すごく恥ずかしかったけど、
新宿御苑の入苑者には気が付かれませんでした。そこまで声が通らなかったと言うことです。下校
放送の「シバの女王」を流し、定時制の方にカギを渡し下校する毎日でした。ある日、入苑者が屋
上を指差して笑ってくれました。「聞こえているのだ!」すごくうれしかった。
放送委員会と放送研究部の関係は在学当時から不思議でした。予算は二ケ所から出ていて、委員
会のスタッフだったと思っています。
学園祭では、井伏鱒二や木下順二のラジオドラマを生公演したと記憶しています。場所は日本青
年館と厚生年金会館だったかな。合唱コンクールとゴチャゴチャになっています。学園祭の前日は、
みんなで「ジェットストリーム」を聞きながら教室で泊まりました。なぜか放送部は泊ることがゆ
るされました。
三島由紀夫のニュースを放送し、亡き兄や先輩達に放送室を乗っ取られそうになったこともあり
ました。
甥っこのクラスメイトが放送部だと聞き付けて、久しぶりに放送室を訪ねました。20数年ぶりで
す。学生運動時代に破られたガラス窓は相変わらずベニア板のまま。ロッカーもそのまま。隣には
松崎先生や幸田さんがいそう。思わずドアを開けてよくコーヒーをご馳走になりました。
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