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All  for One
( ラグビー部 )

E組・青柳 恵一
  

    
      ラグビー部の、E組青柳恵一です。この度30周年記念のCDに載せる原稿を依頼されました。し
    かし、私一人で面白くまた内容のある文を書くのは余りにもは荷が重いので、我々のモットーであ
    るAll for One(今回はこっちの方だけ使わせてもらいます)で、チームメイトにも協力してもらい皆
    に一言ずつお願いしました。3人の仲間が協力してくれました。それではポジション別に番号の小
    さな順から紹介します。
    
      最初は3番プロップ丸山隆司君から。 
      正直大変なクラブに入部してしまったという感じだったのです。	 
    中学のときは、クラブ活動らしき事は何もしなくて、新宿高校という名前と名門校に挑戦する、と
    いう感じで受験し入学できました。高校に入って自分を鍛えるという意味で入部 したのですが、
    ラグビーというスポーツは半端なスポーツでは無い、という事を実感させられました。でも入部し
    た以上必死に頑張りました。朝練で足を捻挫して、歩けないぐらいはれてしまい、家の人にオブさ
    って接骨院へ通いました。試合中スクラム組んでいてボキといういやな音がして、試合後、胸が変
    だなと接骨院に行ったら、肋骨にヒビが入っていると言われた事。またヘタクソなタックルが原因
    かもしれませんが肩の骨が一段ずれた事。なんかケガした事の思い出が多いですね。良い事の思い
    出は一つだけ。3年の戸山戦か、自分が取ったボールを斎藤に渡しトライしてくれた事。自分にト
    ライの経験が無いので、自分の出したボールがトライにつながった事がうれしかったな。いろいろ、
    仲間に迷惑もかけたかなと思いますが、高校時代の思い出として、記憶に残ることがあり、自分の
    一つの足跡として懐かしく思います。
    
      次は6番フランカー、キャプテン倉方欣平君。
      「これが青春だ」で育ったので、入学と同時に、わき目もふらずラグビー部に入部。フランカーだ
    ったので今でもラッキーNOは6。ヤンボールスクラムではハーフめがけて突進した。タックルは
    上手ではなかったけど好きだった。3年生になり豊玉高校戦でまさかの初戦敗退。先生の逆鱗に触
    れ、グランド3周。それからチームの目の色が変わった。ダッシュ、キック、、、、がむしゃらにがん
    ばった。シップ薬は欠かせなかったが、やかんの水、レモンの甘さも知った。ラグビーに夢中にな
    った。国体1次予選では、小石川・桐朋・本郷を打ち破り、4回戦進出。最初のじゃんけんではV
    のゲンをかつぎチョキを。今でも私にとっては、最初はチョキ。恥ずかしながらビール腹になった
    今でも、ラグビーを観ると熱くなる。高校イコール ラグビーだった。
    
      次は7番同じくフランカー吉村峰男君。
      新宿高校ラグビー部でラグビーと出会えた事が、その後の人生を豊かにしてくれました。70年代
    ジャパンラグビーはイングランドとも接戦し、秩父宮ラグビー場を沸かせました。数々の創意と工
    夫でいくつかの金星も射止め、いよいよ70年代の最強スター軍団ウェールズが来日した時はもしか
    するとジャパンが勝つか、と胸を膨らませて国立競技場へ足を運びました。結果は大変惨敗でした
    が、いつか英国のナショナルチームに勝って欲しいと念願するようになりました。
      子供を二人とも幼稚園からラグビースクールに入れて、明日のワセダかジャパンのジャージを着
    て欲しいと密かに願っています。社会人時代の草ラグビー、子供のラグビースクール関係と色々な
    知己を得て、1999年ウェールズのワールドカップでジャパン対ウェールズの切符を入手。無理やり
    仕事を見つけて、カーディフのミレニアムスタジアムでテストマッチ(国同士の試合の事)を観戦
    できました。怒涛のような歓声と応援歌の中を疾走する赤と白のジャージを見ながら、ラグビーに
    接していて良かったと痛感した次第です。カーディフで飲んだギネスビールの味は最高でしたが、
    新宿ラグビー部の面々と飲むビールはもっと美味いでしょう。
    
      10番スタンドオフ青柳です。
      授業はさぼってもクラブには出ていた程、クラブ活動の為だけに学校へ行っていたような高校時
    代。とにかく汗まみれ泥まみれ、そしていつもあっちこっちが痛かった事を思い出します。汚くて
    すり傷だらけで、おしゃれとかさわやかさとは無縁の高校生でした。汗と泥、埃にシップ薬、マー
    キュロにヨーチンと色々な臭いが混じりあった部室の臭いが、今は妙に懐かしいです。でもいくら
    懐かしいといっても、今ではあの部屋に1分とは居られないでしょう。かなわぬ夢とは知りながら
    楽しかったあの頃に戻りたい、といつも思っている今日この頃です。
    
      3人の方々、協力有難う。以上ラグビー部でした。その他のメンバーは、次回35周年の時に
    よろしく。
      最後に、我がラグビー部と代表幹事渡辺君との知られざるエピソードを一つ。彼が夏合宿までラ
    グビー部員であった事を皆知っていますか。彼と我々とは一緒にボールを追いかけ、タックルをし
    た仲間でした。でも彼は残念な事に1年の夏でクラブを辞めてしまいました。でも代表幹事の方は
    ラグビーとは違ってこれからもずっと続け、25回生の為にまた頑張ってください。
      2度目の最後ですが渡辺君を始めとして幹事の皆様、いろいろご苦労様でした。そしてどうもあ
    りがとうございました。5年後もよろしくお願いします。