大江健三郎氏はこなかった
( 文化委員会 )

G組・木多(石井)浩子


      古い記録を紐解くとなぜか文化委員長なるものを引き受けていた時期があり、その古い記憶を紐
    解くと確かに当時「公害原論」の東大助手の宇井純氏を招いて、文化委員会で講演会をした覚えが
    あります。宇井氏に決まるまでに様々な候補があがり、高校生とは恐ろしいものでとにかく片っ端
    から講演依頼をしました。そのなかの一人が大江健三郎氏。
      「セブンティーン」をきっかけに、右翼からのいやがらせに命の危険まで感じて以来連絡方法が
    一切なく、出版社に電話をしても絶対に連絡先を教えてもらえませんでした。最後の手段として、
    出版社に手紙を出してそこから大江氏に渡してもらいました。結局「今、執筆中」ということでお
    断りの返事を奥様から戴きましたが(CDに掲載)。そのすぐ後で出たのが「洪水は我が魂に及び」。
      また、別の方を座談会という形でお呼びしたときは、会議の途中で津田先生がとうとうと意見を
    述べ始め、すると前中先生が突然立ち上がり「だまれ!おまえは、いつもいつも、・・・」と怒鳴り
    始め、それに応戦する津田先生とで怒鳴りあいとなり、今にも殴りあいが始まるか、「表へ出ろ!!」
    のさわぎ。あのー、声をかけたが逆にこちらがなぐられそうな勢いでした。結局別の先生が(どな
    たか忘れましたが)お二人をなだめ、その場は収まりましたが、なにしろ“生徒よりも先生のほう
    が熱い”新宿高校でした。