人間記憶はあいまいなもので、30年も経つと、恥ずかしくて忘れたいのに鮮明に残っていること
もあれば、思い出したくてどんなに頑張っても浮かんでこないこともある。
ラグビー部での練習や合宿の光景は、鮮明なのだが、轍に関しては、記憶に早朝の新宿の街のよ
うな白いベールがかかっている。自分が轍の編集委員会にいたことは確かだが、横田君から電話が
かかってくるまで、委員であったことさえ頭の中の片隅にもなかった。引越しをした際、どこかに
まぎれてしまい、手元に残ってないのでうる覚えで遠いかなたを呼び戻してみた。企画会議でテー
マがなかなか決まらなかったこと、原稿を依頼してもなかなか期日どおり集まらず、サザエさんの
「のりスケさん」のように走り回ったことを思い出す。
確か、「さぼり」というテーマを決め、C組の渡部信綱君が苦労してまとめあげたのを思い出した。
新宿高校に入るまでは、おそらく中学校では授業をさぼるというのには縁がなかった人が大半だ
ったと思う。予習をしてなかった・映画が見たかった・新宿御苑を見ていたらつい行きたくなって
しまった・部室にいたらそのまま残ってしまった・理由もなく習慣のように喫茶店に行ったこと、
友達を誘ったことも、誘われたことも多々あった。新宿の街の奥深さと新宿高校の自由さ、そして、
自立と仲間への依存の葛藤のなかにいた青年期・思春期真っ最中の高校時代の現れとしてサボりと
いうことになったのかと今では思う。高校生活を思い出すと、色々見えてくる。髪を伸ばしたこと、
ジーパンとTシャツ。どっかへ行こうという強い意志ではなかったが、フラっと電車に乗って反対
の方向にいったこと。そんな時、放課後や早朝ではなく、どの時間だったかと思うと、そのときの
自分にタイムスリップしてしまう。
E組の卒業アルバムには当時の出席簿があるが、何らかのしるしが、特別の誰かではなく、自然
な形で当時の様子として残っている。不自然さを感じないのは、当時の自分が、その真っ只中にい
たからだと思う。轍編集委員時代、30年後にそんな思い出を語るなんて想像できなかったが、轍と
いう意味の深さがそこにあるのかなと思った。
今、高校生の娘がいる。授業をサボるなんてとんでもないと思っている自分がいる。色んな思い
や葛藤の中にいた自分と重ねてみると、なにか許せるように思えてきた。いつの間にか、当時の自
分に戻っていた。
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