本当にこんな年齢になったのかなあなんて思ってしまう。高校の頃はまだ20世紀が30年近く
残っていたんだけど、「ノストラダムス」が大ブームとなり「終末から」などという雑誌まで創刊されてい
た。あとまだ30年あるという安堵に隠れながら恐ろしい未来を覚悟していたのか…。
人生も回帰モードに入ってきたらしい。これまでやってきた事にいちいち始末を付けているよ
うなことが多くなってきた。
BS漫画夜話で「あしたのジョー」が取り上げられ、この夏には遂に水野英子さんの作品登場!
沈殿していた"はっぴいえんど"のメディア浮上…テレビで再びお目にかかった「モンキーズ」「可愛い魔女
ジニー」今では昨日のこともすぐ忘れてしまうというのに、若かった脳が吸収した物はしっかりと
残り、好みという物は老年になるまであまり変わらないようだ。
最近高校時代の友人と狂言やバレエを観に行くようになったが、意志の疎通があまりに楽なので
驚いている。もともとお互いのことを良く知っている訳ではないのだが、大人になってからの友
人とは明らかに違って何を話してもすんなり通じる。高校時代を共有しているということはこん
な事なのだろうか。
あの頃読んだ作家、聴いた音楽、好きだった絵画…嫌いだった作家やミュージシャンもずっとその
まま…変わったのは桜より梅の咲くのが気になりだし、西洋よりも和の伝統に心が奪われるよう
になったことか?。
高2の夏休み、私は2人の友人に誘われて「ミニコミ公論」なる雑誌を作り始め、何冊か続けて同級生
に買ってもらった。藁半紙のガリ版刷りで今思うと粗末な外観だったが、皆好意的に読んでくれた。
(有り難う)毎号買ってくれた間賢介君は一昨年の夏他界してしまった。
彼は議論好きだったけど、高校のことで一番印象深いのは周囲の男の子達の会話、議論、冗談…
です。本当に沢山のことを教えてもらった。それなのに今から思うと私はとんがっていて、自分
も傷ついていたけど人のことも沢山傷つけてしまった。それは若さの暴力というものですね。
同窓会にいつも欠席の私がこの原稿を書いているのは、ミニコミ公論の編集長をしていた後始末の
一つです。
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