昨秋のある週末、娘とともに世界堂への油絵道具の買物ついでに、ふと母校を紹介したくな
り、紅葉濃い新宿御苑へと立ち寄りました。静寂の御苑裏から見る渋谷側の新宿高校はあの頃
と変わりなく、塀の隙間からのぞく校舎の窓際には、数学の授業中居眠りをこく当時の自分の
姿が見えるような気がしました。親しんだ体育館もそのままで、夕日の中でしばらく眺めてい
ると、バスケット部の練習、縄跳びの授業、クラス対抗バレーボール等の思い出とともに、目
にぼんやりと赤い色とともに焼きついたある光景が、よみがえってきました。
それは、‘70年の入学式、黒と紺の学生服で埋まった体育館、校長先生の挨拶もつかの間
に、“君達、君達”という呼びかけとともに後方から大声で割り込んでくる一定口調の叫び声、
言葉の端々に聞こえる“帝国主義”“後期中等教育”等々、振り返るとそこには、たった一人
で拡声器を握り締め、声を嗄らしながらも坦々とアジテーションを行う真っ赤なヘルメット姿
の先輩がいます。片や何事もないかの如く平然と式を進めていく先生方、体育館の前方と後方
とで繰り広げられる対象的で異なった価値観の、騒がしくも粛々としたそして日常的な対決、
ふと気がつくとダークスーツ姿の先生方の中に唯一、真っ赤なジャージの体操服が見えます。
大変お世話になった(故)前中先生の姿です。やがて、赤ジャージ先生は、赤ヘル先輩のとこ
ろへ行き話をしています。しばらくして、式は無事終了しました。
この入学式は、私達の時代を象徴しています。私は、高校生活初日の洗礼として受け止めま
した。学園紛争という嵐の後の余韻と無責任な空白、そして退廃、さまざまな価値観が交錯し
ていたあの頃。勉強そっちのけで、下火になりつつあったデモやフリーコンサートにも出向き
ました。母校の学友や心有る先生方と、そして他校の仲間とも、夜を徹して語り明かしたこと
もありました。定まらない価値観と不安、自分の存在を表したい衝動、溢れ出るエネルギー、
徐々に蝕む自堕落という病巣、これらが入り混じり原動力となった3年間は、その後の10年
にも匹敵する、楽しくもまた苦い、価値ある凝縮した日々だったと思います。
四回目の年男となった今日まで、浮き沈みを繰り返す変化の中、いつも前を向きながら暮ら
していられるのは、この貴重な高校生活に帰す自分の原点があること、この時代に養った何か
が効を奏していると、今私には思えるのです。
お付き合いいただいた、恩師の方々、先輩達、良き友人達、そして忘れることのないネーチ
ャン屋の冨美さん、皆さん、すばらしい日々をありがとうございました。
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