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病膏肓に入る

A組 久保田 兼士 

      一昨年の暮れ、康隆から幹事会の案内が届いた。おや、今回はやけに早いな。25周年の時は前年の
    10月頃が初会合だったのに。初回の幹事会で決まったのはホームページを立ち上げて、メーリング
    リストを開設することぐらい。ここにProject30が始動した。
      翌年夏までは二ヶ月に一度のペースで、幹事会という名の懇親会。塩見合宿も終わり、初秋からは
    役割分担を決め、会場の手配をし、名簿を確認し、と本格稼動。もちろん、康隆には登山禁止命令
    を発令。
      CD作成もこの頃から動き出した。収録する資料を募ったところ、予想に反して集まること集まる
    こと。幹事が持ち寄っただけでも「轍」三冊、「朝陽時報」八部、数えきれぬほどの写真、合唱コン
    や体育祭のパンフ、その他諸々。学帽まで発掘。よくもまあこれだけ残していたものだと感心する
    やら呆れるやら。
      パーティー直前の一週間は臨戦体制。毎日数十通のメールが飛び交い、出張から帰った日はメー
    ルチェックだけで一時間以上。当日に向けての盛り上がりが手にとるように分かる。
      そしてパーティーが始まった。当初の予想を遥かに上回る150人もの参加者。「料理より飲み物代
    のほうが高くついたパーティーは記憶に無い」と京王プラザの担当者が呆れる程の飲っぷり。二次
    会の店長はパニックに陥るし、予定に無い三次会をいきなりセットしてしまった某幹事には唯々脱
    帽。で、私も五次会までやらかして朝帰り。
      前回ならばこれで終わりだったのだが、今回はCD作成が残ってる。二日酔いの頭で翌日から資料
    の整理。幹事連中、仕事も家庭も顧みず良くやるよ。中年パワー全開だもんな。って、人のことは
    言えないか。締め切りまで後十日足らずとなった。
      この一年半を振り返って思うに、同期会を思う存分楽しむには幹事になるのが一番。えっ、康隆の
    同期会病に感染してるって。いや、既に手の施し様もないほど重症かもしれない。