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学園紛争という大きな嵐が吹き荒れた後の
乾いた空気の中で私達は3年間を過ごしました

D組 森澤(阪本)有子

      毎朝、新宿駅南口で降りて、階段あたりに住んでいたガリバーさんを横目で見ながら、馬券売場
    の列をやり過ごし、学校へと向かいました。学校群を組んでいた駒場高校は可愛いセーラー服、私
    たちは味気ないジャケットの制服。もっとも途中から、それは標準服と呼ばれ私服で通学すること
    が許されたけれど。そして今考えれば学校生活にふさわしいとは思えない超ミニスカートを着て、
    学校へ行けば楽しい事が待っていて、毎日笑い転げていたように思います。お祭騒ぎのD組を2年
    間見守って下さった大西先生、石島先生に改めて感謝致します。私は軟式テニス部に所属し、朝夕
    練習に励み、夏には富士見での合宿、戸山戦など充実した日々。現在は、硬式テニスに転向し、テ
    ニス部の仲間たちと交流しています。先日もテニスを楽しんだ後の飲み会で、高校当時を語り合い
    ました。
      一番の話題は先生方の思い出。個性的な先生方は大きな刺激でした。授業の中でご自分の考えを
    話してくれた。生徒を型にはめない。伸びるも伸びないもお前次第。澤先生の豆テストに備え、電
    車の中で覚えて身についた。黒板に書かれた文を覚えてからノートに書きなさい、書き写してはい
    けない。と太郎先生。新宿高校のバッチを見て、○先生知ってる? と年上の女性から声をかけられ
    てびっくりした、と元男子生徒。先輩、後輩とも先生の話を共有できます。私の衝撃を話せば、あ
    る先生が、君達に教えるつもりはないよ、と仰ったのです。自ら学べ。という意図をその時にわか
    らなかった私は伝統校の中の劣等生。もっと意識を持って学んでいれば良かったのですが。でも劣
    等感にさいなまれる事がなかったのは、すべてを受け入れてくれた自由な空気の成せる業。そして、
    私は高校で心を許すことのできる最良の友人たちに恵まれ、生涯続く友情を得たことを何よりの幸
    せと感謝しています。御苑を借景とした都会の中の素晴らしい空間で過ごした3年間は今でも輝き
    続けています。