中学、高校の同期会の幹事をやらせてもらい、大学では業界の校友会事務局を仰せつかり、自分
はどうも「学校」というものから離れられない性格なのかも知れません。
新宿高校については、自分として自我の確立の時期でもあったのか、新聞部という環境で「高校」
というものをやや客観的に見てきたりしたこと、級友たちとの卒業後の関係や担任だった澤先生の
退官記念授業、その後の先輩諸氏と『澤先生を囲む会』での交流といったもので「新宿」をより身
近に感ずることができたように思います。
そして22年、25年、今回の30周年の準備・運営でもその感を強くさせてもらっています。同期会
とはあの頃とは違った「中年たちの学園祭」なのでしょう。以前、C組の上原君が「そろそろ昔が
懐かしくなってくる頃なんだよ」と言っていましたが、改めて当時の轍や朝陽時報に目を通すと想
い出と云うのか、自分探しの旅のような気分になってきます。それは今の自分がこれでいいのか?
という自問自答にもなって返ってきます。
「学校」や「クラス」という不思議な空間を共有したもの同士の連帯感が、同窓会・同期会を支え
てくれている源なのだと思いますが、特に、大学の先輩諸氏の愛校心や密度の濃い繋がりを見るに
つけ、不思議さを痛感するものです。「校友」とは何の気兼ねや駆け引きの必要もないリラックス
したムードこそが最大の魅力なのかもしれません。
一方、子供の通う学校と自分の過去をオーバーラップさせてみて、当時と今との違いも痛感してい
ますが、学校とは何なのかを考えさせられています。
さて30年というものが、会社や組織の一つの節目に当たるとよく言われています。かつて、「会
社の寿命30年説」というものがはやりました。その内容は、同じ仕組みや方法では続いていかない
ということでしょう。しかし、この同窓というものは、年を追う毎に一層濃くなっていく性格があ
るように思われます。つい先頃、新宿(新9回)の先輩のお母さんのお葬式に参列しましたが、な
んと葬儀の取り仕切りから受付まで会社の人でなく当時の新宿のクラスメートが行っていました。
確かに50年間付き合える友人たちは、何よりも代えがたい存在なのでしょう。
我が25回もこうした集まりを持ち続け、さらにメーリングリストという文明の利器を利用したコミ
ュニケーション作りが、また新しい関係を築いていくツールになっていくのでしょう。因みに中学
の同期会でも2月からMLをスタートさせました。
今回の30周年のイベントもITなくしては作りえない音声・画像・文字情報を一体化させたCD、
インターネット“chouyou25“の恩恵を充分に活用しています。ここもやはり「不思議な空間」に
違いありません。15歳から18歳までのあの3年間が、個々人にとっては紆余曲折があったにせよ、
そのまま続いているのでしょう。きっとこれからも、このいい関係を保ち続け、そうした場を提供
できることこそ、時間を割かれている「幹事」の一員として唯一最大の成果と喜びだと思っていま
す。それにしてもメールの雨霰には参りました。明日からは「普通の生活」に戻れるか?
準備からCD+記念誌発行までの1年8ケ月、「長い」ような「当たり前」のような時間と労力の
気持ちいい浪費は、普段の責任と時間と仕事に追われる日々から解放されていた20ケ月間でした。
3回の同期会は、関わらせてもらった各々にとって貴重な体験だったと思います。
ところで、次の35年にはどんな企画を立てる? ン、これはもう始末に負えない同窓会病か?
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