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国語科・有元 秀文先生
 

      ちょうど、断れない仕事があって、30周年記念同窓会に参加できず申し訳ありませんでした。 
    30年たっても、記念誌を作成するまでに、みなさんが仲良くやっていらっしゃることを心から
    うれしく思います。 
      また、皆さんが高校2年生の時に、大学卒業直後22歳で着任し本当の青二才だった私にいつま
    でも暖かく声をかけてくださることに深く感謝しています。 
     みなさんの頭の中では、いつも私は22歳の若造だと思います。私にとってあなたたちもいつ
    までも高校生のままなのです。 
       当時は、新宿高校に高校紛争の嵐が吹き荒れた直後で、先輩の先生方は高校生とのコミュニケ
    ーションにずいぶん苦労されたと聞いています。そこで、先生方は、若い教師を採用すれば、教
    師と生徒との溝が埋まると考えたようです。 
      どこの社会でも、若い者は雑用をするのが相場ですが、当時の先生方は、私に向かって「お前
    は雑用はしないでいい。雑用は俺たちがやるから、お前は生徒達と遊んでやってくれ」と仰天す
    るようなことを言ったのです。 
      平均年齢が40歳を超える、ベテランばかりの学校に、教職経験のまったくない新卒を採用す
    るだけでも思い切ったことなのに、私に対する教育方法も思い切ったものでした。 
      今でも、先輩の先生達の考え方は正しかったと思います。どんなことよりも教師と生徒が理解
    し合うことが大切なのです。しかし、それを経験も学力も人格も備わっていない若造が実行する
    のは不可能でした。私は、ほとんど木っ端微塵に吹き飛ばされて大海を漂流するような惨憺たる
    体験をしました。 
      みなさんにはずいぶんご迷惑をおかけしたと思います。二度と返らない青春を空費させてしま
    ったかもしれません。申し訳ないことをしたと思っています。でも、大学で少しばかり成績がよ
    く、何でもできるような錯覚に陥って増長していた私には、どうしても経過しなければならない
    道であったと思います。 
      あなたたちに初めて会った時ほど、新鮮な目で高校生に接したことは二度とありません。あの
    ときほど一生懸命に取り組んだことも二度とありません。そして、あのときほど失敗の連続であ
    ったこともありません。だからこそ、かけがえのない体験であったと思います。 
      やはり、教師には向いていなかったらしく、新宿高校だけに15年間つとめてから文化庁の調
    査官になりました。役人暮らしも向いていないらしく、5年でやめて、文部省の研究所の研究者
    になってから12年目になります。  
    いつのまにか、教員に助言をするような立場になってしまいましたが、失敗だらけの青春の日々
    を忘れないで、若い教師に暖かく接したいと思います。私に比べれば、たいていの若い教師の失
    敗などたいしたことではないのです。 
      お暇なときに、私のウェブサイトを見て、笑ってやってください。また近いうちお会いしまし
    ょう。
     
    http://www.nier.go.jp/arimoto/index.html